山ろく対話=対話の生まれる場を求める小さな試み。

非社交的な人間の他人への繋がり方。

開催報告:7月23日と山ろく対話考

 f:id:sinanogawanozyouryuu:20200807094652j:plain

f:id:sinanogawanozyouryuu:20200807094656j:plain

 

今回は、生活する/生計を立てる/仕事をする/働く と関連のある動詞を並記

して行いました。

 

それをテーマにするに際して、仏教が八正道の中で説く「正しい生活/生計」を、(少なくても自分については)考えるための手掛かりにしてみました。

仏教は、どちらかというと、現実的な仕事、働くにたいして消極的な立場をとっているように思います(出家という生き方)。そして布施という形で在家と必要不可欠な関わりをもっています。

しかし、現代の社会に生きる自分のあり様を考えると、自分自身の中に、働いて収入を得る、そのことである程度の生活水準を維持して継続していくという在家的あり方が前提としてあり、そのなかで、様々な矛盾に向き合い、解決への可能性を探り、同時に個としての生きるを続けて来たのではと思います。

自分がNPO法人を設立し、事業を始めていったのも、その文脈の中で捉えられることです。そして現実の具体的な場面場面で判断=行動を選択してきたわけですが、それが大分おかしいぞ?と明らかに考え始めた時があり、その解決策の一環としてこうした「対話の場」の開催を行っているわけです。

仏教は、仕事そのものではなく、仕事も含めての生活の仕方、取り組み方を説いているように思います。社会的課題の解決に向けてどのような実践、事業が有効かという視点からは、そこには限界があるかもしれません。もっとも、生きている世界ですることは、その限界部分に限界だらけの個人が取り組むことが全てかもしれません。今も現実の課題にどう取り組むかに悩んでいます。

 

開催報告の方に少し戻ります。今回4名の参加者での開催でしたが、山ろく対話開催の

 趣旨が上手く伝わっていないという感がしました。

山ろく対話について、ブログ内で説明はしているものの、文章のわかりづらさ、拙さ、自分自身の明確になっていくことの未成熟さなどにもその原因はあるかもしれません。

 

しかし、何のために対話の場を開くかは、大変重要なこととして毎回考え続け、それに伴って、進め方・技法も改訂し続けてきた経緯があります。

同じことであっても、(少しづつ進化しながら)再度確認しておくことは必要なのでしょう。

今回は要点を3つにまとめてお伝えします。

1、自分自身の問題を感覚的感情的にでなく、理性的に考える。

自分自身の問題が自分だけでは完結せず、他人・社会とどのように繋がっているのかを知るわずかなきっかけが得られればよいと思います。

そのため、ここは、「テーマについて」ではなく、「テーマを通じて(毎回)自分自身について」考える場です。よって「問い」も一般的な形で出していくのではなく、自分自身の「問い」として、さらにそれを他者にも伝わる言葉にしていくことから始めていきます。(折々考えて、言葉を少し熟成させるための日にちを設けています。)

 

2、微妙な違いから、決定的な違いを見つける。そして決定的な違いから、微妙な共通点を(もしかしたら)見つける

各人の微妙な違いが、実は決定的違いであると考えます。また一人の中にも違いが

混在していると考えます。そのため、各人から出された複数の問いを全て尊重します。

そして、複数の問いを材料にして、自分の視点から、テーマを通じての今の自分を表してみます。(ここで、自己対話の技法としてKJ法を使います。)

これは、とても大事な作業です。そして、人数分の異なった表を比べてみて、何がわかるか?それを言葉にして出し合ってみるところまでが、今のところの山ろく対話の終点になります。

3、自己対話と沈黙が根幹にある。そして常に自分自身のもやもやと向き合う

特に相互対話の場合、テーマについて対話がある方向で進んでしまったり、比喩的にわかりやすく表現される「キーワード」が出されたりすると、その路線で相互対話が進んでいき、そのことで確実に無視され(そのことすら誰も知らず)置き去りにされる部分が出来てしまうように思います。自分自身も特に気にかけずに忘れてしまう場合が多いのですが、なんとなく悪性のもやもやが残ります。

自分が考え、気づくための手段として、他人の言葉を聴くことは大事と思いますが、対話の基本は自己対話です。まずはそれを心掛け、その上での相互対話なら、自己対話を2乗した質の高い対話になるかも知れませんが、実際はなかなか難しい。

山ろく対話は、しばらくは、根幹と考える自己対話と沈黙に留まります。そしてそこから生まれる良性のもやもやを大事にします。そしてそれを拓いて示す手段として、KJ法を使った図表化を行います。そのことで、とりあえず今、明らかになったことともやもやであることの配置図を明らかにします。