山ろく対話=対話の生まれる場を求める小さな試み。

非社交的な人間の他人への繋がり方。

朗読で対話―『高瀬舟』ー少欲に生きる

今回は、参加者がなく開催はできなかったが、森鴎外高瀬舟』をある期間、朗読(練習)することで、深く考え、作品を通じて対話することができた。

そしてそれはまだ続いている。

 

この作品は、ユーチュ―ブでたくさんの人の朗読が聴ける。

 

関心があったのでいくつか聴いてみた。だが、どうもほとんどが(自分の描く高瀬舟とは)違う。

もっとも自分の描く高瀬舟を朗読で表現したいと思っても、それも難しい。

 

多くは、「格調」が高すぎる。そして暗い。

 

当時の社会の下層で生きてきた「喜助」と下級役人の「羽田庄兵衛」の会話なのに。

それに喜助は島送りになるわけだが、そこに今までなかった「明るい」希望を持っている。

 

当たり前に与えられた境遇を精一杯生きる。そしてこれからも希望を抱いて生きる。その格調ある生き方と明るさをどう表現することが出来るか。

 

朗読の技術は必要かもしれないが、表面的なところに留まるのではないか。

 

自分の中に同じようなものがないと表現は難しい。

自分のいい加減さや、現状の不満を嘆いたり人のせいにしていることを鑑みるとなかなかこの作品の朗読は難度が高い。

 

けれどもその難度の高さに向かっていく方法、つまり、もしその人がそれを求めているとしたら(せめて気になるくらいでも)だが、なるほどと気づいて行動に指針を与えてくれる仕方が作品の中に提示されている。

 

 それは、庄兵衛が喜助の気色が気になって話を聴く場面、そこで庄兵衛の心の中で生まれている対話ではないかと思う。。

 

自分の中に今までなかったこと、漫然としていたことに気づき、対話が生まれ、そして相手の話を聴きつつ、自分と対話する。

 

高瀬舟』は、その場面と一定の長さの時間(場面と時間は分けられない。)を描いているように思う。

 

そのことが、自分にとってはこの作品に大変興味を惹くところだ。