開催報告(2018年3月~10月 )
10月7日(日)19時~の開催報告 (2018.10.11)
長野駅善光寺口徒歩3分ほどのところにある、スターバックスで開催しました。日時的に混んでいましたが、なんとか隅のテーブルの周りに参加者4人分の席を確保することが出来ました。(事前予約なしのため席が確保出来るか否かも課題です‼)
さて、今回のテーマは「諦めるとは?」でした。
内容については写真の自己対話用紙4枚と最後の相互対話用紙1枚を参考にして下さい。
個人的には再度取り上げてもよいと思うテーマでした。(自分がまだこのテーマで対話が必要と思います。)
以下は、進め方ルールについての検討です。
直前に(基本は変わらないですが)進め方ルールを若干改訂して、それに則って進めました。(2018.10.5改訂版)
今回の改訂の大きな点は、一般的に哲学カフェ、対話カフェ等では中心になる参加者同士の〈相互対話〉のところのルールです。
既にある順番に話すルールに加え、発言者が発言の要旨を付せんに書いていくようにしましたが、停滞した時間が出来てしまい、その場で語り合う臨場感が損なわれてしまったように思います。
相互対話は方向性が出来てしまうと、なかなか一人一人の始まりの問いに還ることが困難になってしまう、・・・そうした懸念が強くあり、進め方はまだまだ模索中です。
一人一人の自己対話を深め展開を促すように参加者相互の対話がどのように進め方ルールの中に位置づけられていけばよいのか、大事なこれからの課題です。
そのためもあり、自分もテーマについての自分では気付かなかった観点、異なる立ち位置を知ることは出来ましたが、自分が受け止めて自己対話の中にまで入り込んで、考えるところまでには至らなかったと思います。
せめてその端緒になるような対話がもう少し出来るような進め方をめざせたらと思います。
進め方ルールの検討は引き継ぎ取り組んでいきます。
9月28日の開催報告(2018.9.29)
山ろく対話の進め方・・・「問い}とは? 誰との対話か?・・・
今回のテーマは「諦(あきら)めるとは?」でした。参加者が2名のため、テーマを取り上げながら進め方ルールの検討、確認を行いました。結局テーマには行き着かず、終わってしまいました。
しかし、より前提となることがらについての対話が出来たかと思います。
まず、そもそも対話とは何かということで、いくつかの哲学カフェでいただいたパンフを見て確認してみました。
対話とは:「考えを深める協働作業」「質問と返答を繰り返しながら、お互いの考え方の違いなどを探求する話し方」(デモクラシーカフェのパンフより)、このあたりのまとめ方が出発点に出来そうです。
では誰と誰が対話するのか・・・?この点は重要に考えたいところですが、少し後回しにして〈進め方ルール〉を順番に見ていきます。
まず、「テーマは、動詞の形で事前に提示する。テーマについての説明的な文章は付けない。」この点を確認しました。これは、「《私が(…を)》●●する。」とは?といった形での思考の仕方が、自分と他者また一般的に社会との関わり方/行動、行為/価値観を考る際の〈入り方の基本〉として適っていると思うからです。
テーマの提示だけで解説文を付けないのは、参加者はそれぞれの立場からそのテーマとまずは向き合うことを大事にしたいからです。
『① テーマについて、各自がそれぞれの立場、視点からの「問い」を立てる。(要点を付せんにを書いて提出する。次に各自が、①で立てた「問い」について説明する。)』
ここで「問い」という言葉がでてきます。(安易に使ってしまった!)そして「哲学カフェ/対話」では問い立てることが大事だと云われます。例えば「一人一人が問いを立て続けること、そして、それに対して答えを考え続けることを重視する。」(人生カフェパンフより)「物事を定義付け、その意味をもうこれ以上逃れられないところまで追い込むためには、「問い」の形式に落とし込むのが有効・・・」(波止場てつがくカフェパンフより)
ただ、最初から、「問い」を立てるのは、難しいのではないか?、「問い」の形でなくてもテーマから考えることがらを自分の体験等と向き合いながら文にしてみるでよいのではとの意見が出されました。
対話の過程のなかでさまざまな「問い」が立てられ、最終的に「問い」と「答え」のかたちをめざすとしても、まずはテーマを受けて自分と自分とで対話してみて、出来るところで文字にしてみる。出発はそこからでよいのではと思います。対話の過程で「問い」の様態も様々に変容していくように思います。
自分自身この「問い」についての理解がまだ不十分に思います。引き続き課題にしていきます。
その後の進め方は、次のようになります。
『②-(1) 他人の「問い」に対しての不明な点について、質問をす
る。
次の8つの質問を基本に用いながらそれぞれの「問い」への理解を深める。
(それは本当ですか? なぜですか? どうしてそう考えるのですか? 何か具体例はありますか? その意見通りだとどういう結果になりますか? ~ってどういう意味ですか? それはいつも当てはまりますか? それは・・・ということですか?)
②-(2) ひとりひとりの立場からそれぞれ意見や考えを出し合う。
お互いの相違や関連するところを、丁寧にまた繊細に対話してい
く。(「問い」の形を通じてそれぞれの人格が示されているので、
それぞれの「問い」は尊重する。)』
ここまでを、先ほどの〈誰と誰が対話するのか〉という視点から見てみると、まず参加者それぞれが自分と対話した後、(文字)言葉の形で公開します。
その後、参加者間で(一定の手順踏んでの)対話をしながら、同時に内では自分との対話を続けていく・・・ということかと思います。
次に
『 ③ ①~②を振り返って、各自が新たに「問い」を立てる。
④ (②を再度行う。)再び、他人の「問い」に対しての不明な点についての質問やそれぞれ異なった立場からの意見や考えを出し合う。
⑤ 各自が重要と考えるキーワード・キーフレーズを選び説明する。』
ここでは、他人との対話を受け促されての、自分との対話のその後(1時間後くらいか)の形を再度公開し、再び参加者間での対話をしつつ、一人一人が自分の「問いと答え」に向けて考えを集約していく。
そしてとりあえずのこの場の最後として。
『⑥ 各自がそれぞれ一つの「問いと答え」または(この段階での)簡単な結論、感想を提出する。』
となって終了になる。
8月23日(木)の開催報告
今回も参加者が少なく、テーマについて若干の話し合いをしました。
その日、その時の断片録 - 山ろく対話=テーマ(問い)を通じての自分と人との語りの場
7月26日(木)の開催報告
今回のテーマは、「諦(あきら)めるとは?」でした。
参加者が2名だったため、テーマについては次回持越しとし、「進め方ルール」についての意見交換となりました。
独自考察 | FAQ | 哲学カフェ・哲学対話ガイドでまとめられている4つのタイプのどれに当てはまるかを、考えました。(そこでは、進行役が進め方を支配しているか放任しているか。また内容に関与しないかしようとするか。以上の相違から4つに分けられています。)③のタイプかと考えていましたが、よく考えると、山ろく対話の場合は進行役は、進め方ルールに則った進行「係」であり、微妙かつ決定的に違うかもしれません。
そして、このルールを作って遂行しているのが進行役のため、このルールの意図をまずは意識して実行できていると思います。
もう少し参加者が増えれば、またいろんな状況で進め方との相性も考えていけるのではと思います、集客を目的にした企画ではないので、まずは続けていくことでしょうか。
6月28日(木)の開催報告
6月28日(木)18時から20時まで、佐久平イオン2階フードコートで開催しました。
テーマは、「強いられる(こと)、強いる(こと)とは?」です。
参加者は前回と同じく3名で、何とか対話の成り立つ人数でした。
告知はこのブログとジモティー、こくちーずで行っていますが、たくさん参加してもらえればよい訳でなく、またこれは個人活動、ひとり活動として行っていこうという想いがあるため、適切な告知方法があまり思いつきません。
やり方を模索しながら、まずは続けていくことです。
内容は、下記の画像をご覧になっていただくとして。
今回、進め方として 工夫を試みたことは、
最初の簡単な自己紹介の際に今回のテーマについて各自まずは口で述べてもらったこと。
そして、対話の中心になる、③のところで、最初は各自が提出した「問い」をより深め、明らかにし、(その人の人間観、社会観を背景にした)どういう位置付けにあるのかを理解することのみの質問。(「8つの質問」・・・これも東京の哲学カフェで使われているのを使っています。)
これがほぼ終わったところで次に、自分と他者との問いがどう関連しているのか(いないのか)考えの違いや重なるところを明らかにしていく対話に入っていきました。
やり方としては、おそらくこのやり方を明確にやっていくのがよい、と今のところ思っています。
3名の参加者ということで、対話は深まったかも知れませんが、拡がり、展開には限りがあったかも知れません。③をもう1回行う必要も無かったため、⑦に進み、ちょうど2時間で終了となりました。
参加した皆さんありがとうございました。
5月24日の開催報告
5月24日木曜日、18時~20時に「山ろく対話=テーマ(問い)を通じての自分と人との語りの場」を開催しました。
哲学という言葉にまつわるイメージから離れるために、これまでは、平仮名でてつがくとしてたわけですが、出来たらこの言葉を使わずにこの場を表現してくれる言葉を探していました。
結局見つけられず、とりあえず開催直前に「山ろく対話」と変更しました。
そしてサブタイトルに何を意図してこの場を設けたかを盛り込みました。
さて、今回の参加者は3人。どうにか対話の条件が整いました。
今回のテーマは「納得がいかない(こと)とは?」でした。
意図して重視したことは、「参加者がテーマ(問い)を仲立ちにして自分を含めて参加者たちと対話する」ことです。
そのことで、自分や人が、人間世界のどこに立ち位置があるのか、そして現実にはこのような場以外では出合うことの無いお互いの参加者なわけですが、そこに関連や乖離がどんなふうに見えてくるのか、というあたりが今の自分の関心事でもあります。
一人一人が今置かれているその立場から(思考や行動を)始めるしかないわけで、自分の立ち位置を知ることは大事かと思います。
また、進め方の技法面で一つ意識したことは「ルールの⑥、話す話さないの自由や沈黙の時間も大事にした上で、参加者が同等に話すと聴くの機会を設ける。」です。
実際の進め方は、決めた規則に従って、進行役もその必要最低限の役割のみ果たして、参加者全員で対話しました。
「山ろく対話」とは - 山ろく対話=テーマ(問い)を通じての自分と人との語りの場
の進め方の①から始め、④に更新(!)された時点で、かなり共通的な意識を確認出来たことは、今回の一つの驚きでした。(見えにくい画像ですが、各人の①④⑦のフレーズが上から書かれています。)
対話の仕方(技術的な面)の工夫は、特に③そして⑤でまだ必要かと思います。
ともかく大まかな方向性として、「自分を知るための場」ではあったかと思います。
そのためには、その手がかりとして(人と人との媒介の役目を果たす)テーマの選択が大事になってくるかと思いました。
参加した皆さんありがとうございました。
3月1日の開催報告
実地での試行をまずは第一の目的に、山ろくてつがく対話を開催しました。
日時は、3月1日木曜日17時~19時。場所は佐久平駅近くの公共スペースでした。
参加者は2名で、進め方の試行実験的面が大きかったと思います。
今回のテーマは「働くとは」でした。
意図して行おうとしたことは、参加者一人一人の考え方がその展開や変化も含めて、個別にわかるようすることです。
振り返っての反省点・課題として見えたことは、次のようなことです。
まず、意図して行おうとした、一人一人の考えを(限られた時間の中で)深め展開していくことは、かなりきつい作業であるように感じました。
また、上記のようなこと故に複数人での対話の場があると考えると、一人一人が自らの考え方を確認し明確にしていくためにこそ、その場を有効に使う方法を工夫できないかと思いました。
では、実際の進め方に沿って検討して行こうと思います。
1、まず今回のテーマ「働くとは」について
各自の問題意識に引き付けての問いを出す。今回は2名だけの参加者でしたが、出された問いは、「働いていない時間とはどういう時間か?」「働くことを辞めることも必要か?」「働くこととお金を得ることは同じことか?」「雇用関係のない働き方はあるか?」「働けない人はいるか?」
以上が付箋に書かれ、それぞれについて説明してもらいました。
2、次に、提出された問いに対しての質問(理由、具体例、確認、異なる/違う見解や見方)を出して応答する。
3、以上を踏まえて、各自新たな問いや意見を付箋に書き、それについて説明する。ここでは「今の社会の役割関係の中で、生活の糧を得ることが働くことの大きな部分であるので、現在の(社会の抱える)様々な矛盾を働くことは抱えこんでいる」「生きてることは何らかの働きをしている。その人の死後の働きもある。」「「働く」とはその人の生き方ではないか?」
当初考えていた行程では、 次にこれらの問いや意見に対して、2で行ったことを再度行う。
これを3~4回繰り返して、最後にこの場での(とりあえずの)一人一人の問いと答え、あるいは感想を導きだす。
そして今回は、質問と応答はどちらかと云えば補助的な役割で、一人一人の意見の展開を重視しました。しかし限らた時間の中で自らの考えを展開させていくことは難しいしきついのではないか、というのが今回の感想です。
複数人(今回は2人でしたが)での質問と応答、ーーそれは一人一人が出した問いや意見を基に置き、それを尊重し逸れていかないことが大事に思いますがーーにより多くの時間をかけていくこと。これが次回に向けての改善点になります。
実際そうした応答の中で一人一人の問いや意見の気づきが見つけられるように思います。
次回開催は未定です。
このような場を必要に思う方の参加をお待ちしています。