山ろく対話=対話の生まれる場を求める小さな試み。

非社交的な人間の他人への繋がり方。

その日、その時の断片録

開催場所について(2018.9.18)

普段暮らしている浅間山南麓の交通至便なところが主になってしまうが、そこにあまり限定するつもりはありません。とはいってもなかなか働く現場の事情などで制約もあります。

坐禅会でいく長野市、実家のある前橋市放送大学面接授業がある東京などで時間が設けられたら、開催を告知していきます。告知の手段はこのブログとこくちーずです。

まだ参加申込みはあまりない状況ですが、参加者を集めるのが目的ではないのでそこは気にせず当分やっていきます。

今後は月2回ほど自分の動く地域の範囲で開催告知をしていけたらと思います。

 

テーマについて(2018.8.30)

今回(8月23日)、台風が接近中でせっかくの遠方からの参加予定の方も不参加となり、テーマでの対話は中止にしました。

 そこで開催者側の2名で、取り上げるテーマについて話しました。

テーマを通じて、自分と他者(自分もそこに含まれるかもしれない。)、社会との関わり方を考えていくのに入り口、入り方としてどういう形がよいのか?まず、名詞ではなく動詞(あるいは形容詞)の形でテーマが出されるのがよいのではと考えました。

実際のテーマを出してみると、「諦めるとは」「捨てるとは」「受け入れるとは」「弱いとは」「当事者だとは」「圧力を受ける/圧力をかけるとは」

意図して動詞の形にすることで、自分に拠って考えを始めることが促されるのかと思います。

ただし、これはあくまでも山ろく対話の場合であり、これからはこうした意識ももちながら様々な対話の場に参加してみたいと思います。