このところ、いくつかの50年がある。
3年ほど前から坐禅に通っているお寺で、あることの50年を祝ってささやかな催しをすることが計画されている。
そのことをきっかけに「年月」について少し考えた。
30年以上前に5年ほど勤めていた施設が、今年創立50年になるという。
ここでの経験は今の自分に至る大きな舵になった。
少し前に実家で渡された50年前、自分が中学3年の時の修学旅行などの集合写真。
皆、顔に見覚えはあるが名前と一致するのはわずかである。
中学卒業後、ほとんど会っていない。どうしているのか?
様々な「年月」の中に自分の年齢という「年月」を刻んできた。
もう少しそれが続くのだろう。