山ろく対話=対話の生まれる場を求める小さな試み。

非社交的な人間の他人への繋がり方。

断片録:対話の目的、位置づけについて

山ろく対話のパンフレットを改訂しました。(2019年1月13付)

http://sinanogawanozyouryuu.hatenablog.com/

何を目的に対話の場を開催していくのか?漠然と考えていたことを何とか言葉にしてみました。「自分を考え、自分に気づくために、ひとつの「言葉」を手がかりに、参加者とともに考えてみる場」になれたらと思います。

昨年(2018年)3月からの「山ろく対話」の開始と時期を併せて、坐禅を初め、また仏教関連の本を少しずつ読み始めました。

昨年暮れからは、「〈仏教3.0〉を哲学する」(藤田一照、永井均、山下良道)「哲おじさんと学くん」(永井均)「アップデートする仏教」(藤田一照、山下良道)「ブッダの〈気づき〉の瞑想」(テイク・ナット・ハン)「ブッダの瞑想法」(地橋秀雄)などの本を読んでいます。(1回では理解が出来ず再読再々読が必要です。)

「言葉」によって表現される(された)出来事を正しく理解していくというより、その「言葉」によって考え実際進んでいった方向を一度棚上げしてみる。自分がそこに抱いている意味をゼロから考えてみる。

坐禅や瞑想とは違った、対話と思考という方法で、〈自分に気づく〉仕方がそこにあるのではと感じています。(上手く表現できませんが、なんとなく自分の求めていることの方向性かと思います。)

 

毎日の衣食住、そして仕事は矛盾を直に感じる「溜り場」かもしれませんが、辞めれば収入が途絶え生活苦になってしまいます。今ある仕事も何とか続けながら、そこにわずかな楽しみを見つけることも大事かもしれません。

もともと、自分が始めたNPO法人の事業の行き詰まり、疑問が起点になって「山ろく対話」に繋がる活動を始めた訳ですが、まだまだ先は長いようです。どこまで行けるかはわかりません・・・。