2018.12.20(木)開催予定
12月20日(木)18時00分から20時まで。
(定員は4人まで。)
テーマは、「巻き込まれる/巻き込むとは?」です。
〈このテーマについての自己紹介・・・「今までの人生振り返ってみてはっきりと「巻き込まれた。」と思うこともあれば「巻き込んだ。」と思うことも多々あります。何かをしようと思い、次の段階に「跳ぶ」にはその渦に(誰が先でも後でも)入っていかなくてはならないのかもしれません。そんな自分の否応ない「行動」について理解することを試みてみたいと思います。」〉
申込みは開催日前日までに下記のアドレス宛にお願いします。
参加費はありません。飲み物のみ持参ください。
*申込みいただいた方に具体的な開催場所をご連絡します。
(お名前ともし可能ならば参加の動機を記載ください。)
(山ろく対話:江村まで)
2018.12.16(日)開催予定
12月16日(日)15時30分から18時まで。
(定員は4人まで。)
テーマは、「巻き込まれる/巻き込むとは?」です。
〈このテーマについての自己紹介・・・「今までの人生振り返ってみてはっきりと「巻き込まれた。」と思うこともあれば「巻き込んだ。」と思うことも多々あります。何かをしようと思い、次の段階に「跳ぶ」にはその渦に(誰が先でも後でも)入っていかなくてはならないのかもしれません。そんな自分の否応ない「行動」について理解することを試みてみたいと思います。」〉
申込みは開催日前日までに下記のアドレス宛にお願いします。
参加費はありません。飲み物のみ持参ください。
*申込みいただいた方に具体的な開催場所をご連絡します。
(お名前ともし可能ならば参加の動機を記載ください。)
(山ろく対話:江村まで)
2018年11月22日の開催報告
今回は、参加者が2名のためとテーマ「仕方がないとは?」についての対話は中止にし、次回の「テーマ」について候補を出し合いました。
実際の体験(群)から、それを一般的な言葉で言い表してみて、問いの形にしてみる。
あるいは、一般的な言葉で問いの形になっているところから、まだ整理のつかない実際の体験が引き寄せられてくるような、そして今より少し理解が進むような、そんな問いを「テーマ」に選らんでいけたらと思いました。
そこで、次回のテーマは「巻き込まれる/巻き込むとは?」に決まりました。
(次回の佐久での開催は、12月20日18時~の予定です。その開催予定の告知の際、テーマにまつわる自己紹介の部分は載せるようにします。
なお、23日の前橋開催は参加者がなく中止になりました。)
2018.10.25の開催報告
参加者が2名だったため、梶谷真司氏の下記の本を参考に、前回のテーマ「あきらめるとは」を用いて、問いの形にすることの練習を行ってみました。
5W1H、時間軸、空間軸から、形式的、機械的に問うてみました。(いつ、何を、誰が、どこで、なぜ、どのように、あきらめるのか?)(今、これから、いままで(何を)・・・・・・)
それを基に、実体験の中身を入れる形で、具体的な事柄につながる問いをつくってみました。
「あきらめたことで、何が変わったか?」
「目的のために、あきらめることがあるのではないか?」
「年齢とあきらめは関係があるか?」
「生まれて最初のあきらめはなにか?」
・・・・・・・
どういう問いからそのテーマに関わっていくかによって、自分の立ち位置が見えてくるように思います。自分自身の複数の問いを積み重ねていくことで、まずはそのテーマを手掛かりにしての、自分が他人、社会とどう関わってのいるのか、関わろうとしているのかが見えてくるのかもしれません。
そうならばそれは、山ろく対話のめざしたい方向であるように思います。
その日、その時の断片録
開催場所について(2018.9.18)
普段暮らしている浅間山南麓の交通至便なところが主になってしまうが、そこにあまり限定するつもりはありません。とはいってもなかなか働く現場の事情などで制約もあります。
坐禅会でいく長野市、実家のある前橋市、放送大学面接授業がある東京などで時間が設けられたら、開催を告知していきます。告知の手段はこのブログとこくちーずです。
まだ参加申込みはあまりない状況ですが、参加者を集めるのが目的ではないのでそこは気にせず当分やっていきます。
今後は月2回ほど自分の動く地域の範囲で開催告知をしていけたらと思います。
テーマについて(2018.8.30)
今回(8月23日)、台風が接近中でせっかくの遠方からの参加予定の方も不参加となり、テーマでの対話は中止にしました。
そこで開催者側の2名で、取り上げるテーマについて話しました。
テーマを通じて、自分と他者(自分もそこに含まれるかもしれない。)、社会との関わり方を考えていくのに入り口、入り方としてどういう形がよいのか?まず、名詞ではなく動詞(あるいは形容詞)の形でテーマが出されるのがよいのではと考えました。
実際のテーマを出してみると、「諦めるとは」「捨てるとは」「受け入れるとは」「弱いとは」「当事者だとは」「圧力を受ける/圧力をかけるとは」
意図して動詞の形にすることで、自分に拠って考えを始めることが促されるのかと思います。
ただし、これはあくまでも山ろく対話の場合であり、これからはこうした意識ももちながら様々な対話の場に参加してみたいと思います。